千葉ロッテマリーンズ 育成の星 西野勇士は強心臓を武器に『幕張の防波堤から侍の守護神へ』

中学時代には学業の成績も良く、進学校である富山・高岡高校への進学を勧められるものの、通学に自転車で1時間掛かる野球強豪校・新湊高校に進学します。
3年時には、エースとして夏の県大会準優勝に輝いたが甲子園出場は叶わず、周囲からは大学進学を勧められますが、本人は進学を一切考えておらずプロ志望届を提出します。
育成選手ドラフト5巡目指名でマリーンズに入団、4年目のオフに支配下選手登録され、5年目には先発で9勝、6年目の2014年はクローザーで31セーブを記録し侍ジャパンにも選出され、育成の星としてサクセスストーリーを突き進んできました。
1.2日連続「プロ初先発」
プロ入りして4年間育成選手として過ごし、支配下登録されてすぐの5年目には開幕1軍入り、そして2013年4月7日には「プロ初先発」のチャンスが巡ってきました。
しかし、2回27球を投げたところで降雨ノーゲームとなり「プロ初先発」はお預けとなってしまいました。
普通であれば、次の登板機会を待つところですが、なんと西野選手はチャンスを逃すまいと、次の日にスライド登板し、正真正銘の「プロ初先発」を連投で果たすこととなります。
そこで、プロ初勝利を挙げるとシーズン終了までにチーム最多の9勝を積み重ね、チームのクライマックスシリーズ(CS)進出に大きく貢献し、CSでは育成出身選手として初の勝利を挙げることとなります。
2.新・幕張の防波堤の誕生
ローテーションの柱として期待が高まった2014年は、前年のセーブ王・益田直也投手の故障により、急遽クローザーに転向します。
準備の仕方も調整法も手探りの中、開幕から14試合連続無失点を記録するなど、チームの成績が低迷する中、シーズン終了までにリーグ3位の31セーブを挙げます。
かつて、マリーンズのクローザーであった小林雅英氏(現コーチ)の異名「幕張の防波堤」を受け継ぎ、一部のファンの間ではその安定感から「劇場開幕しない幕張の防波堤」と呼ばれています。(小林氏は失点することも多く、ランナーを出す度に「小林劇場開幕」と揶揄されていました。)
3.メジャー相手に
「ノーヒットノーラン」共演
2014年11月に行われた日米野球に侍ジャパンの一員として出場、3試合1失点で3セーブを挙げました。
特に第3戦では、則本昂大投手(楽天)・西勇輝投手(オリックス)・牧田和久投手(西武)がノーヒットでつないだバトンを受け継ぎ9回に登板、三者凡退に抑え、継投によるノーヒットノーランのトリを見事に飾りました。
抑えた3人の中には、アルトゥーベ(アストロズ)・モーノー(ロッキーズ)とその年の首位打者が二人おり、何重ものプレッシャーをものともしない西野選手のメンタルの強さに感服させられました。
~「私、失敗しないので」~
2015年シーズンもクローザーでの起用が濃厚ですが、自主トレにおいて西野投手は「今季は失敗しないことを目指す」と失敗0宣言をしました。
2014年は57試合に登板して失点したのが9試合のみで、さらにリリーフ失敗となるとたったの3試合なのですが、2015年はさらにその上を目指すということです。
きっと2015年は一滴の水をも漏らさぬ、「幕張の防波堤」が見られることでしょう。