〔ロッテ:大嶺翔太物語〕入団前に躓くも確実な成長で兄を越える日は近い【千葉ロッテマリーンズ】

軟式野球部に所属して中学時代は主に遊撃手としてプレーしていましたが、投手としても3年時には140kmを記録するほどの実力を持っていました。
兄・大嶺祐太選手の後を追って入学した沖縄 八重山商工高校では肩の強さを買われて1年夏から捕手でレギュラーとなり、その後は投手や遊撃手を兼任し、三塁手兼投手として臨んだ3年夏は準決勝で敗退し甲子園出場はなりませんでした。
2009年のドラフト会議で、ここでも兄・祐太選手と同じマリーンズから3位指名を受け入団、1年目から2軍でレギュラーとなり、2014年に1軍初出場を果たしました。
ダルビッシュが「命の恩人」
大嶺選手は入団前に、当時高校生であったにもかかわらず居酒屋で同級生と飲酒・喫煙し警察に補導されました。
球団は大嶺選手との正式契約を保留し、入団取消も示唆するほどの大事件へと発展してしまいます。
そんな時、補導こそされなかったものの同じ様な過ちを犯し謹慎処分を受けた経験を持ち、当時ファイターズのエースに成長していたダルビッシュ有選手(現・レンジャース)が、自身が謹慎中に受けたファイターズの対応を引き合いに出し「(マリーンズは)温かく迎えてあげてほしい」と訴えかけました。
大嶺選手は無事に入団することができ、もしダルビッシュ選手の発言が影響した結果だとすればまさに「命の恩人」と言えるでしょう。
大バカからバカへ成長
角中勝也選手は2軍時代から大嶺選手をよく食事にも連れて行くほど可愛がり、また大嶺選手も打撃のアドバイスを求めるなど角中選手を慕っています。
2014年8月7日イーグルス戦の試合前、1軍に昇格したものの結果の出ていなかった大嶺選手に角中選手が「今日打てなかったら、2軍行きだ」と冗談交じりに激励しました。
するとその試合で、大嶺選手はプロ入り初安打となる本塁打を放ち、さらに角中選手はサヨナラ安打を記録し、二人揃ってお立ち台に立ちました。
そこで角中選手は大嶺選手を「大バカからバカに成長した」と評し、『最初からタメ口のクソガキ』であった大嶺選手の成長に目を細めていました。
兄より先に一軍定着へ
2015年キャンプは1軍スタートとなり、1軍定着そしてレギュラー奪取に向けて首脳陣に猛アピールをしています。
レギュラー奪取のためには今江敏晃選手や鈴木大地選手などの主力選手を相手にしなければならず、かなり厳しい戦いになります。
しかし、守備面での安定感が増せばチャンスは大いにあり、伸び悩んでいる兄・祐太選手との立場が一気に逆転するかもしれません。
沖縄育ちの野性味溢れるプレーでグランドを躍動する姿を楽しみにしましょう。