【誠(相内誠) 物語】生い立ちや不祥事を乗り越えて誠は3年目で本当のスタートをする〔西武ライオンズ〕

千葉国際高校時代は1年夏からベンチ入りし、エースとなった2年夏の千葉県大会初戦で先頭打者から9連続三振を奪い、一躍注目を集めます。
3年春には県大会で全4試合で完投し創部以来初のベスト8進出に大きく貢献、甲子園出場が期待され、日米13球団のスカウトが視察した夏の県大会では春に痛めた腰の影響もあってリリーフで2イニング投げ、たのみで3回戦敗退となってしまいました。
2012年のドラフト会議でライオンズから2位指名を受けましたが、直後に不祥事が発覚し入団は凍結、2013年3月に学校の謹慎処分が解除されたことなどから入団凍結が解除されました。
度重なる不祥事…
ライオンズとの入団契約が合意に達したことが報道されてから2週間余り経った2012年12月初頭、東京湾アクアラインで車を運転中に道路交通法違反(無免許運転・速度超過)で摘発されます。
その後の詳しい顛末は省略しますが、この時は卒業前であったため学校側から謹慎処分が下され、ライオンズへの入団も凍結されることになります。
しかし、不祥事はそれだけで終わらず、2014年1月下旬に未成年であったにも拘わらず飲酒・喫煙していたことが発覚し、6ヶ月間の対外試合出場禁止や夜間外出禁止などの処分を受けます。
1度ならず2度までも法律違反を犯すということは言語道断で、社会人としての自覚が欠けていたというほかありません。
球界のタイガーマスクへ
家庭の事情で中学から児童養護施設で生活することとなり、両親と会えない辛さや寂しさを忘れるために野球に打ち込むことになり、その結果プロへの道が開けることとなりました。
ドラフトで指名された直後の会見では「施設の子供に勇気や希望を与えたい」と語り、1軍に上がった暁には施設の子供達に対し、ホームゲームへの招待や学用品のプレゼントを計画していました。
両親の庇護の元に育った者には誠選手の辛さや寂しさは量りかねますが、ルールを破って良いことにはならないので、ドラフト直後の言動が嘘にならないように頑張ってもらいたいと思います。
今年が本当のスタート
1年目は入団前に不祥事を起こしたことによりキャンプに参加出来ず、2年目はキャンプこそ参加したものの6ヶ月間対外試合禁止で実戦から遠ざかり、この2年間プロ野球選手としてきちんとしたスタートが切れていません。
2015年は一生に一度の成人式出席を自粛するという精神面での成長も見せ、無事に「初の」キャンプを迎えることが出来ました。
練習試合などの実戦でも結果を残しており、2015年は過去を払拭する活躍を見せて新人王に輝いてくれることを願っています。