ソフトバンクホークス 栄光と挫折を乗り越え島袋洋奨の琉球トルネードが復活する

沖縄 興南高校では1年時からベンチ入りし、2年春に26年ぶりの甲子園に導くとそこから4季連続で甲子園に出場することとなり、3年春には甲子園初優勝、夏には沖縄県勢として初めて優勝し春夏連覇を達成します。
プロ志望届を提出せずに中央大学に進学、1年春のリーグ開幕戦で先発デビューし、新人賞を獲得します。
その後は、怪我とイップスによる制球難に悩まされましたが、2014年のドラフトでホークスから5位指名を受け入団しました。
敵将も舌を巻く驚異のスタミナ
春夏連覇を達成した2010年の甲子園準々決勝で興南高校と戦った福島・聖光学院の斉藤監督が「ベスト8に残った投手が束になってかかっても彼一人にかなわな」、「嫌になる」と島袋選手を絶賛しました。
実際に春夏を通じて全11試合に先発し、8完投を記録しており、春の選抜決勝戦では延長12回198球を投げ切りました。
この驚異のスタミナは豊富な練習量に裏打ちされたものだと思いますが、一説には沖縄の地の物を食べていたからと言われているとかいないとか・・・。
突然の襲った謎の制球難
中央大学3年秋のリーグ戦で突然の制球難に襲われました。
2年時に痛めた左肘の影響と見られていましたが、本人は怪我の影響を否定し「緩いボールでしかストライクが取れない」、「原因はわからない」と語りました。
試合中にバックネットにボールをぶつけたり、打者の背中を通るボールを投げたりしているうちに全力投球することに恐怖を感じるようになり、終いにはブルペンで十分な投球練習することすら出来なくなるほど精神が不安定となってしまいました。
4年時にはイニング数を上回る数の四死球を記録しましたが、秋のリーグ戦終盤になりようやく以前の感覚を取り戻しつつあると良い兆しがあることを本人が語っています。
失われた琉球トルネード
テイクバックの際に身体を大きく捻ることから、その投球フォームは「琉球トルネード」と名付けられました。
しかし大学に進学後、その大きなフォーム故に簡単に盗塁を許すようになったことやストライクが取れなくなったことが原因でフォームをコンパクトなものに変えていき、大学4年時にはかつてのダイナミックなフォームは見る影もなくなってしまいました。
しかし、学生生活最終盤になってかつてのフォームを取り戻す手応えを掴み、制球難の克服も伴ってプロ入り時点では「自信しかない」と強気な発言をしており、苦難を乗り越え進化した「琉球トルネード」が見られるに違いありません。
琉球旋風よ再び…
本人が「自信しかない」と発言をしたところで、大学野球でも満足な投球が出来なかった選手が即活躍出来るほどプロは甘くありません。
事実、同じ沖縄の先輩で同じ東都リーグで輝かしい成績を残した東浜巨選手でもプロの世界では苦しんでおり、島袋選手がすぐに1軍ローテーション入り出来るはずがないのです。
しかし、12球団随一の育成環境を持つホークスだけに島袋選手の再生も意外と早いかもしれません。
かつて甲子園で放ったまばゆいばかりの輝きを取り戻し、東浜選手とともにプロの世界でも「琉球旋風」を巻き起こしてもらいたいと思います。