【中日ドラゴンズ 福田永将野手】紆余曲折を経て開花した「ロマン砲」はやはり神童だった!

〔センバツで優勝を果たす〕
横浜高校時代は1年春からベンチ入りし、夏にはレギュラー捕手として甲子園に出場しました。
2年春からは4番を務め、主将となった3年春の選抜甲子園大会ではチームの優勝に大きく貢献、史上初の同一校による2度目の「春夏連覇」を目指した夏は甲子園出場を果たしたものの初戦敗退となってしまいました。
2006年の高校生ドラフトでドラゴンズから3巡目指名を受けて入団、プロ入り3年目の2009年に初めて一軍に昇格して、史上49人目のプロ入り初打席初本塁打を記録しました。
〔捕手→内野手→捕手→内野手〕
高校時代は捕手であり、プロ入り後も1年目は捕手として過ごしましたが二軍の正捕手争いに敗れたこともあって、打力を生かして出場機会を増やすために一塁手への転向を指示され、落合博満監督(現GM)の指示により2年目のキャンプから本格的に内野手に転向しました。
しかし2012年に高木守道氏が監督に就任すると、小山桂司選手がイーグルスに移籍したこともあって再び捕手への転向を命じられます。
2012年は一軍で初めてマスクを被りましたが主な出場機会は一塁手としてであり、人生初の二塁守備に就くなど起用法が定まらず、オフには内野手へ再転向することとなりました。
〔大きな期待の背番号55〕
背番号55・・・これはかつてドラゴンズに在籍し本塁打と打点の二冠王に輝いたこともある大豊泰昭氏(故人)を意識して付けられたものであるらしく、スラッガーとしての期待されていることが分かります。
大豊氏だけでなく、メジャーでも活躍した松井秀喜氏(元読売)や現在ではTー岡田選手(オリックス)が付けており、「51」と並んで50番台では良い番号であって期待される選手が付ける番号となっています。
選手の格と背番号にうるさい落合GMが、2014年までの8年間で通算4本しか本塁打を打っていない福田選手に「55」を与え続けているのは珍しいことと言えるかもしれません(「55」を良い番号と思っていない可能性もありますが・・・)が、球団のスラッガーとしての期待の現れだとも言えます。
〔メジャーからスカウト?〕
長距離砲としての才能は子供の頃から発揮されており、小学生の時にはすでに120m級の本塁打を打っていたと言われています。
中学時代にはシニアリーグで全国優勝を果たしてシニア全日本代表の4番も務め、さらにはニューヨーク・メッツのスカウトから入団テストを受けて欲しいと声を掛けられたこともあるそうです。
実際に入団テストを受けたのかどうかは定かではありませんが、こんな話を聞くとますます福田選手に期待を持たざるをえません。
〔プロ9年目、ついに開花の時!?〕
プロ入り9年目の2015年、期待され続けた打棒がついに爆発する時が来たようです。
春季キャンプに特別コーチとして招かれた、ライオンズで打撃コーチとして清原和博氏や中村剛也選手を育てた名伯楽・土井正博氏の指導によって打撃開眼し、オープン戦では規定打席不足ではあったものの5割近い打率と4本塁打、13打点(いずれもチームトップ)を記録しました。
落合GMにとって待望であった日本人の右の大砲誕生であり、一軍定着どころか一気に4番定着なんてことになるかもしれません。