〔日ハム 齋藤勝物語〕セガサミー初のプロである齋藤勝は『斎藤』と『勝』を押しのけ和製ランディを目指す【日本ハムファイターズ】

東京 修徳高校時代は2年夏と3年春に甲子園に連続出場、2年夏には予選で受けた死球で左膝が万全でないにもかかわらず2試合連続完封を記録しチームをベスト8に導きます。
セガサミー入社後は高校3年時に痛めた肩の影響が大きく、4年間は目立った成績を残せませんでしたが、5年目に中心選手として頭角を現しました。
2010年のドラフト会議でファイターズから6位指名を受けて入団、4年間で通算9試合登板のみで未勝利となっています。
セガサミーから初のプロ選手
セガサミーと言えば、指導者にプロでも有名であった元選手の名前がずらりと並び、現在では都市対抗や日本選手権の常連となっており、社会人野球屈指の強豪の一つとなっています。
齋藤選手は、そんなセガサミー硬式野球部の創設メンバーの一人であり、同じ年にバファローズから3位指名を受けた宮崎祐樹選手とともに同野球部から初めてのプロ野球選手となったのです。
同僚である浦野博司選手など後輩も増えてきており、近い将来プロ野球界でセガサミー出身者が一大勢力となるには齋藤選手の活躍が欠かせません。
日ハムの『斎藤』、『勝』と言えば誰?
ファイターズで『斎藤』と言えば真っ先に斎藤佑樹選手が浮かび、『勝』と言えば武田勝選手や中村勝選手が浮かぶと思います。
名字も名前も同じ選手がおり、悲しいかないずれの選手も齋藤勝選手より実績・知名度ともに上であり、一部ファンの間のみならず北海道の各局で放送されているファイターズ応援番組内でも齋藤勝選手を何と呼ぶかが話題となったようです。
ちなみに本人は同じ左腕の武田勝選手を目標としており、ニックネームも武田勝選手と少し被る感じのものを希望していたようで、現在では「まーしゃる」と呼ばれているそうです。
球の遅いけど和製ランディ・ジョンソンの由来は?
吉井理人氏(現・ソフトバンクコーチ)が齋藤選手を「球の遅いランディ・ジョンソン」と評しました。
長身左腕で球の出所が分かりにくいスリークォーターから右打者にはクロスファイア、左打者にはフロントドア(インコースのボールからストライクゾーンに入ってくるスライダー)を投げ込む姿はまさにランディ・ジョンソンと重なります。(球速は15kmほど違いますが・・・)
『和製ランディ・ジョンソン齋藤勝』が話題になる日を楽しみに待ちたいと思います。
2015年こそ1軍定着を!
この4年間1・2軍を通じて思うような結果が残せておらず、少しずつ後が無い状況となりつつあります。
2015年こそ1軍定着を果たし、『ファイターズのサイトウと言えば齋藤勝』、『ファイターズの勝と言えば齋藤勝』となることを心待ちにしたいと思います。