オリックスバファローズ 選手生命の危機を乗り越えた同僚との絆 熱い想いを持つ男伊藤光

高知 明徳義塾高校時代は2年春からベンチ入りし、高知県選抜に選出されるなど国際試合は経験したものの、2年夏と3年夏はともに高知県大会決勝で敗れ、あと一歩のところで甲子園を逃しました。
2007年高校生ドラフト3巡目指名でバファローズに入団、1年目から1軍出場を経験するが2年目には椎間板ヘルニアを発症・手術し1年間を棒に振ることになります。
2011年から出場機会を増やし、2013年には正捕手に定着、2014年にはベストナインとゴールデングラブ賞などを獲得し侍ジャパンの常連ともなっています。
選手生命の危機
プロ入り2年目の開幕直前に椎間板ヘルニアが発覚、手術してシーズン中の復帰を目指すことになりました。
手術によって痛みは無くなったが左足に痺れと麻痺が残ってしまい、リハビリを続けてもその痺れと麻痺が消えることはありませんでした。
数多の病院を受診しても良くならず手術から1年以上経過し、藁にもすがる思いで通い始めたのが偶然見つけた脊髄損傷者のためのジムでした。
痺れと麻痺により歩行すら困難な状態であった左足が、このジムでのトレーニングによりわずか2ヶ月で奇跡的な回復を見せて野球が出来るまでになったのです。
その後2軍で実戦復帰、そのシーズン中に1軍出場も果たし、まさに崖っぷちからの生還となりました。
西勇輝との絆
西勇輝選手はプロ入り2年目(2010年)の夏に特発性顔面神経麻痺に襲われ、医師から野球を続けることは困難であると告げられました。
同じく怪我で選手生命の危機に立たされた経験を持つ伊藤選手は、苦しむ西選手を励まし続けました。
その甲斐もあってか西選手は病魔を克服し、翌2011年にはプロ初勝利を含む2桁勝利を挙げ、さらに2012年最終戦ではノーヒットノーランも達成します。
実は西選手の初勝利、ノーヒットノーランの際には伊藤選手がマスクを被っており、特にノーヒットノーランを達成した時には喜びを抑えきれずに涙を流す伊藤選手の姿がありました。
歓喜の涙、悲哀の涙
伊藤選手はプロ入り後にグラウンドで3度涙を見せています。
一度目は自身が1年以上苦しんだ椎間板ヘルニアとその後遺症から復帰し、2軍で復帰後初ヒットを放った一塁上でこらえきれずに涙を流しました。
二度目は西選手のノーヒットノーラン達成をマスクを被ってサポートした時で、病魔に苦しむ西選手を間近で見てきたことから喜びも一入であったものと思われます。
そして三度目は2014年最後の直接対決でホークスに敗れリーグ優勝を逃し、悔し涙を流しました。
プロの選手がグラウンドで涙を流すことは珍しいことですが、伊藤選手はそれだけ苦しみ、野球に対して熱い思いを持っていることの証であると言えます。
選手会長が狙うのは優勝のみ
2014年あと一歩のところでリーグ優勝を逃し、2015年のバファローズは必勝を期し超大型補強を敢行しました。
しかし悲願達成には、選手会長として扇の要としてチームをまとめる伊藤選手の存在は欠かせません。
2015年は、涙ではなく喜び溢れる伊藤選手の笑顔が数多く見られることを楽しみにしましょう。