オリックスバファローズ 母校を甲子園初出場に導いた佐野皓大の強気と冷静さ

大分高校では1年秋からエースナンバーを背負い、3年春の県大会で優勝、九州大会ではMAX150kmを計測しベスト8入りし、一躍注目を集めます。
3年夏の県大会では準決勝で右手に怪我を負いながらも決勝延長10回を一人で投げ抜き、大分高校創部以来の甲子園出場に導きました。
甲子園では1回戦で敗退したものの、秋のドラフトでバファローズから3位指名を受け入団します。
プロ向きの強気な発言
大分高校時代には強気の発言が目立ち、春夏通じて初の甲子園出場を決めた試合後のインタビューでは自身のことを「九州一のピッチャーだと思っている」と語りました。
さらに甲子園練習の際には「甲子園最速を出したい」「155kmを目指す」と語り、周囲を驚かせ、敗退後には報道陣を前に「プロ一本」を明言してみせました。
こうしてみると決して思い上がりから絵空事を言っているわけではなく、周囲が思っているであろうことを本人が口にしているだけであり、それだけの自負を持って自分自身への期待を前向きに語っていると言えるかもしれません。
我欲を封印する冷静さ
2014年春の九州大会で最速150kmを計測しましたが、夏の大分大会ではそのストレートが150kmを超えることはありませんでした。
150kmを連発したり、自己最速を更新して、プロにアピールしたいという自分の欲望を封印し、球速を抑えスライダーを交えた投球で冷静に打者を打ち取ることそしてチームの勝利を優先し、創部62年目にして初の甲子園出場へと見事に導いたのです。
甲子園では再び強気な佐野選手となり、相手がストレートを待っているのが分かっていながら敢えてストレートで真っ向勝負しました。
結果は人生初の1試合2本塁打を浴びるなど不本意なものとなりましたが、試合中に投球フォームを修正するなど強気な中でも冷静さも失うことはありませんでした。
数年後の未来は新エース?
背番号12を与えられたことからバファローズの佐野選手に対する期待の大きさを窺い知ることができます。
しかし、182cmの上背はいいとして体重が68kgと線の細さは否めず、シーズンを通して戦い抜く体力を付けるために少なくとも1~2年は身体作りの期間に充てられると思われます。
身体が出来上がっていないにもかかわらず最速150kmを記録しており、プロとして身体が出来上がればその球速はどこまで伸びるのか興味が尽きません。
そう遠くはない将来に、球界を代表する豪腕として並み居る強打者たちを封じ込めて、お立ち台で強気な発言をする佐野選手の姿が見られるかと思うと、今から楽しみで仕方ありません。