横浜ドラフト2位 石田健大 故障と監督の叱責を乗り越えろ【背番号14】

広島工業高校時代、甲子園出場経験は無いものの中国地方No.1投手としてプロからも注目されていました。
高校卒業後は法政大学に進み、評判通りの活躍と故障による挫折、苦難を味わった石田投手のアマチュア時代の経歴を振り返ってみましょう。
高校卒業後は法政大学へ進学し、1年時から好成績を残し、2年の秋にはリーグ優勝にも貢献します。2年時には大学3年生以下の日本代表候補、3年時には日米大学野球の代表に選ばれるなど、早稲田の有原(現日本ハム)と明治の山崎(現オリックス)とともに六大学BIG3と呼ばれるまでになり、高校時代より着実にステップアップしてきました。
1.広島を『青く』染める
幼少の頃にはおばあちゃんと一緒によく広島市民球場に通い、当時カープのエースだった佐々岡真司投手(現広島2軍コーチ)や黒田博樹投手に憧れていました。
そんな憧れの広島市民球場の公式戦最後となる夏の選手権広島大会準々決勝のマウンドに石田健大は立っていました。
結果は、敗戦に終わり甲子園への道が絶たれてしまいました。
石田投手の脳裏には、幼少期に見た真っ赤に染まるスタンドと高校時代の苦い敗戦が広島市民球場の思い出として残っているでしょう。
プロでは、マツダスタジアムでカープ相手に投げ勝って高校時代の借りを返し、幼少時には真っ赤だったスタンドをベイスターズのチームカラーである青に染めることを胸に誓っています。
2.丸刈り指令!
ドラフト指名後にDeNA・中畑監督から「頭を丸めて、初心に帰れ!」とリーグ戦を視察した際に激怒されました。
東京大学相手に、勝利を挙げたものの、6回2失点の内容もさることながら、投球の間に頻繁に髪の毛を触っていたために先の激怒につながったのです。
本人は髪を気にしているわけではなくて、滑り止めとして汗を利用していると弁明していたが、4年時には調子が上がらなかったこともあり、中畑監督にしてみれば「外見を気にする前にもっとやることがあるだろう」との思いがあったのでしょう。
3.即戦力期待も・・・左肩違和感
六大学BIG3と言われドラフト1位候補でありましたが、左肩を痛めた影響から4年時は精彩を欠いてしまいました。
プロ入り後初のキャンプも二軍スタートとなり、スロー調整を余儀なくされてしまいました。
しかし、潜在能力はドラ1級であることは間違いなく、左腕が手薄なチーム事情からも石田への首脳陣・ファンの期待は高まる一方です。
~横浜の救世主になれるか?~
まずは故障を治す!
故障が完治すれば、マツダスタジアムどころかセ・リーグの敵地全てを青で染めてしまうほどの石田投手の活躍が期待できるポテンシャルを秘めています。
長く低迷が続く横浜にとって、ルーキーの活躍は不可欠です、早い時期からの活躍に期待しましょう。